「コロナで海外留学の夢が絶った。」
「海外留学がいけなくなってしまったのは、コロナによる経済上の理由。」
海外留学というのは計画的に進めていかないと、手続き、滞在先、留学に必要なTOEFLなどいろいろ時間がかかるものが沢山あります。
コロナでどうなるか分からないしたら、この先3年は留学という選択は難しいのではないでしょうか。

せっかく留学の準備してきたのに、コロナで留学どころではなくなったしまった、、。家族も心配するから無理にはいけないし、、。
英会話スクール? オンライン英会話?もちろん選択の一つです。
でも英語は学べるかもしれませんが、留学のあの醍醐味は味わえないでしょう。
異文化で暮らす楽しさ、大変さそういったものは海外ならではのもの。
外人と共に暮らし、同じものを食べ、違った文化の価値観に触れられるあの体験こそが、英会話だけでは味わえな人生の大きな大きな糧になるのです。
コロナで留学が出来なくなって、悔しがっている方、残念で失望している方
まだ 諦めないで!

私が21歳で体験した、国内最強の留学先は外人ハウスだったんですよ!! これは予想外にいい体験だった。これから話す私の経験を聞いてみて少しでも参考にしてくれたら嬉しです。
外人ハウスに住んだのがきっかけで、カナダに留学するのですがその布石となったのが、外人ハウス(通称フレンドシップハウス)でした。
外人と住むシェアハウスは予想以上に効果的で、自分の人生を変えてしまう驚きの英語漬け体験なのです。その時学んだ実体験をお話します。少しでも参考にして、本気ならば、出来る事から実行してみてください。
初めての外人の友達のアンソニーとの出会い

ここで少し、私が25年も前に外人ハウスに住むようになった、きっかけをお話しますね、
私は高校時代から少林寺拳法をやっており、20歳位の時に、大学が八王子だったため八王子道場に通うようになりました。理由は高校時代にやっていたから、というシンプルなものでした。
そこに現れた、純粋なアメリカ人(アンソニー)が私の人生を大きく変えた一人のなのです。いや、彼に出会っていなかったら、自分は海外や英語には、ほとんど興味をもっていなかったかもしれません。
19歳でフィリピンに植林ボランティアに行っていたので、英語の利便性は理解していました。英語は日本ではそれほど重要ものとは思ってもいなく、淡々とした日が過ぎていきました。

19歳でフィリピンに植林ボランティアに行っていること自体、既に少し変わっていますが、。
滞在先ではホームステイしてました。植林に森に入るのですが、密林には反政府ゲリラが横行していた時代です。私(私たち)には軍隊上がりの私設警察が機関銃をもってボディガードしていた時代です。 話がずれてしまうので、この話はまた後程、、、。
そこに現れたアンソニーに、私は新人指導役としてつかされて、いろんな事を教えていきながら彼の人間性、魅力にだんだんとりつかれるようになったのです。

なんだろ、人生初めての外人。彼の考え方、生き方すべてが新鮮で今までの自分の価値観を覆さられました。
彼のつたない日本語を理解しならが、丁寧に教えてながら、だんだん色々話をする友人同士になっていったのです。
NOVAの講師のアンソニー
話をしてくと必然的に出てくる仕事の話。彼は,当時ものすごい勢いがあったNOVAの英会話講師だということが分かりました。
その頃からか、英語に興味を持ちはじめ、どのような方法で学ぼうかと悩んでいた時期でもあります。
当時は、今みたいにネットがそれほどメジャーではなくて、ましてやスマホはありません。当時の自分はNOVAかECCに入るという選択肢しかなかったと思います。多分まだ探せばあっかかもしれませんが、身近にNOVAに先生がいたため、親近感からNOVAの選択をしました。
でも、高かった!!!
当時の学生の自分には高かったという印象しかありません。でもグループレッスンで小さな部屋に3人くらいで閉じ込められて、同じテキストで読み合わせ見たなものをやっていたのを思い出します。

今考えたら、あれは自己投資だったのですね。意識はしていませんでしたが。
いまでもあの方法がよかったかどうかというのは分かりませんが、外人と同じ空間にいるというのが自分には何よりの楽しみでした。
外人シェアハウス
まさかの事が起きたのです。
その当時、住まいだった八王子から都内に大学のキャンパスが移るので引っ越しをしなければならなくなり、どこに引っ越すにも東京では初めての引っ越し。
20歳前後の自分には、わかる事も少なくどうしようかな~と思っていました。
当時、アンソニーは勤務先のNOVAが八王子で住まいは吉祥寺という生活をしていました。
少林寺拳法の時間が終わって帰る時に「今度、おれは八王子から引っ越すから、もうこの道場には殆どこれないかもしれない」と伝えてました。アンソニーも初めての日本の友人である俺の引っ越しを少し寂しそうに感じていてくれていたのかもしれません。
その時、彼は「どこに引っ越すの?」みたいな質問をしてきて 「まだこれからだよ」
彼から出た言葉で、私の人生は大きく変ったのです。
「俺の住んでる家に来なよ。外人と暮らしてる外人ハウスだよ」

当時の外人ハウスはやばい外人がたくさん一つの家に固まっているという、ネガティブイメージしかなかったのです。、
「外人ハウス??」25年前の自分には初めて聞く響きでした。当時は行く場所もなく、まとまったお金もなかった為、一度下見に行ってみて、嫌ならやめてもいいという気持ちで吉祥寺に下見に行ったのでした。
シェアハウスの魅力

吉祥寺駅でアンソニーと待ち合わせ。確かあれは夕方で少し小雨が振っていたと思います。
イメージは、外人ハウスはきっとおしゃれで綺麗で、なんかかっこいい建物というイメージでした。しかし、現実はうす暗くて、古民家風で「え!ここに15人もいるの??」という感じの建物でした。
でもまずは下見 玄関は殺伐としていて、靴箱に名前も書いてある 外人の名前あったり日本人の名前もあり(確か、鈴木さんとか山田さんとかよく聞く名前でした)少し安心した気持ち。

普通、下駄箱に日本語で名前が書いてあれば日本人がいるって思いますよね (笑)
部屋は4畳半で狭かったけど、電気ガス水道は共益費で込々で4万5千円でした。いまでも破格だったので覚えています。トイレ、シャワーはもちろん共同ですが問題はなかったです。
どうせ引っ越すのは大変だし、ここなら身体1つあればすぐに暮らせるという気軽さからここに決めました。
アンソニーは1階、自分は2階、その他部屋は13部屋くらいありました。殆ど、いや自分以外はNOVAの先生でした。あとで聞いたらここはNOVAの先生の寮だったのです。
管理人のコバ(小林さん)の許可もあり私がここに住めることになったのです。(かなり稀)
先ほどの下駄箱の名前の日本人は、実は数年前に住んでいた人(NOVA関係の日本人)!!
つまり、違う外人が平気でその靴箱使っていたのです。 (笑)
シェアハウス生活はこの地の楽園だった
この場借りて、言える事はここで私はここで圧倒的な国際感覚を身に付けました。

なんだろ、ドロドロの国際感覚って感じのものです。
たまにあっちこっちでスラングの飛び交う喧嘩を目のあたりにしたり、他国の彼女の奪い合い。
日本人の女の子が行ったり来たり。「yasuさん yasuさん、ブライアンが、、。」俺を巻き込むなよ~みたいな、、、。
廊下でシャワー浴びてたばかりの女性がほぼ下着だけでウロウロしたり。
私は、「また、喧嘩してんのかよ~」みたいな仲裁役。
ここが自分の新しい人生のスタートラインだったのです。
英語が難しい? 英語が出来ないと生活が大変?
そんな事は、まったく関係なかったのです。
自分の信念

俺ら同じ屋根の下の仲間。それだけでした。
彼らが初めて出会う日本人は私だったのです。空港から直接このハウスにきて暮らす。そうすべてがあそこがスタートラインでした。
彼らは日本にきて1年~3年、自分は東京にきて2年弱 もはや感覚は同級生です。幸い自分は人なっこいため案外 可愛がられました。
アンソニー、ブレンデン、ブライアン、リチャード、ヘンリー、マリア、(あ!怪しいトルコ人いました)スティーブ、、、、
皆が楽しかった。(たまに怪しい外人いましたが、それもまたいい出会いでした。)
自分が一番年下であったためか、可愛がってくれ、フレンドリーの真髄みたいなもてなしでした。
実はこの中に自分がこの年になっても付き合っている人が出てくるです。そして彼ままた僕の人生に大きく関わってくるのです。
知らぬ間に身につく国際感覚
話す事はどうしても訓練が必要でした。でも聞く事は放っておいても自然と入ってくるのです。
外人ハウスにいると話せるよになるというのは、間違いではないですが正解でもないです。
また、英語を教えてくれるかというとそうではありません。だって彼らは疲れているので休んでる時はそんな事聞けません。彼らは海外で暮らしているので、予想以上に疲れています。
よっぽどのことなら聞きます、普段は聞いたことはなかったです。
でも国際感覚は身につきます。
国籍はアメリカ人、カナダ人 オーストラリア、イギリス、ニュージーランド、トルコ、南アメリカ、、

とにかくクセのある人間のオンパレードでした。
この人にはこうやって接して、この人たちにはこうやって接してと案外忙しかったです。キッチンに行くと、訳わからない調味料が沢山あり、夕飯時はキッチンは訳わからない料理だらけ、匂いも訳わからない状態。トルコ料理が出てくると、ナニコレ???みたいな。
そこに自分が魚を焼いた日にはクレームの嵐 (笑)
「Hey Yasu!! What’s fuckin smell man!! 」
そんな事ばかりやって自然と小さな社会で小さな国際感覚が身に着き、大きな国際感覚になっていくと感じてきました。
いま考えたら、オンライン英会話のスクールあったらそこでしっかり文法を勉強して生活で実践できたのかもしれない。
外人とシェアハウスするメリット


どうでだった?外人ハウスっていう存在すら知らなかったら今後の参考にしてもらったら嬉しいな。今回は自分の体験談も多かったけど、今度はしっかりまとめた記事を作るから

そうなんだ!少しは聞いたことがあったけどそんな環境なんだね。そうやって慣れていくんだね。

そうそう、そうここで場数を踏むと、留学しても変に疲れないよ。ここで日本人の殻に閉じこもってしまうと、留学しても同じ感じになってしまうと思うよ。
メリットは実は英語を身に付ける事ではないと思います。
外人に慣れて彼らの文化、価値観を理解しそれに自分を照らし合わせて共に尊重し合い生きていくという事を学べる事だと思います。
一概に英会話というものは話す為のツールでしかないのです。
私がこのあたりの事をすごく強調しているのはこの経験が会ったからです。
いくら英語が凄くてもダメな人はだめ。いくら英語の堪能な女性も、彼氏がいくら外人でも最後には見切られてしまう。もちろんお互いの問題もあるけれども、それも自己責任になる。結果的に英語が話せた事で外人と付き合い、知らぬ間に彼氏は帰国、、。
一緒に住むと、各自のいいところ、悪いところが見えてくる。それは日本人も同じでしょう。だから英語が話せるとかは相手と話すツールが増えただけの話。
そういう感覚を身に付けられるのが、外人とシェアハウスに住む大きなメリットなのかもしれないです。
驚愕!最強の国内留学は外人とのシェアハウス・住むと変わる人生感 まとめ

いかがでしたでしょうか。
意外と身近に国際体験できる場所があるのではないでしょうか。初めはもちろん大変ですが勇気をもって一歩前に出ることは非常に大事でなはないでしょうか
1、身近なところで国内留学ができる 2、シェアハウスだからって英語が上手くなるわけではない。 3、自分から進んでやらないと、殻にこもってしまうだけ 4,予想以上に外人に頼られている。
これからの英語習得の一つの手段として考えてもらったら、また選択肢が増えるかもしれません。